About Old Noritake
OLD NORITAKE
西洋アンティークを中心としながら、オールドノリタケといった日本が制作した作品もあることに疑問を持つ方も多いのではないでしょうか?
実はノリタケは、Antique Serendipityが扱うアール・ヌーヴォー時代に深い関係があり、同時期に作られたオールドノリタケの歴史を知ると、違う角度で見直していただけるのではないかと、同サイトにてご紹介しています。
ノリタケの歴史
日本が幕末の動乱期に揺れる頃、福沢諭吉率いる使節団は開国の延長を求める話し合いをするためにロンドンへ出向いていました。その日程中に開催されていた「第2回ロンドン万博」へ福沢諭吉は出向き、日本が作った漆塗や薩摩焼、磁器といった工芸品の数々が喝采を浴びていることを目の当たりにします。
帰国後、福沢諭吉は、多くの工芸品をヨーロッパを中心とした海外に送る政策を立て、開国に揺れる日本の立て直しに奮闘します。
その福沢諭吉の助言を受け、1876(明治9年)に「ノリタケカンパニー(森村組)」の創設者「森村市左衛門」は、アメリカのニューヨークに「日の出紹介」を設立します。
海外への出店をいち早く手がけた同社は、1881年に「モリムラブラザーズ」と社名を変え、ジャポニズムが一世風靡している時代には、日本が制作した磁器や漆などの輸出を主体としていました。
しかし、時代の流れがアール・ヌーヴォー(新芸術)へと変わると、日本の高い職人技術を応用して、当時の西洋テーブルウェアのようなスタイリッシュなデザインの食器や装飾品を作り、欧米国へ輸出していきます。
欧米諸国では「転写」などの機械化が進む中、職人の技術価格が低かった日本から渡った作品は、「金盛」「ビーディング」「タペストリー」「ラスター彩」などといった技法を織り交ぜて作られており、ため息の出るような美しい繊細な装飾美に人々は心奪われました。
ノリタケは海外で人気を博し、一躍世界に広がっていったのです。
当時の「デザイン画帖」を見ても、その美しさがいかほどだったのかが伝わります。全てのデザイン画にまで盛上げ技法を施すなど、当時の創作意欲が伺えます。
今なお、オールドノリタケの人気は世界に広がり、コレクターが多くいるため、日に日に質の良い上質なオールドノリタケを探すことが難しくなりつつあります。
Antique Serendipity では、現代の生活にも合うオールドノリタケのテーブルウェアを中心にご紹介していきます。